2016年




ーーー6/7−−− 三度目の・・・


 
5月29日に、公民館主催のマレットゴルフ大会があった。私は3年連続、3回目の参加である。結果は、27ホール回って145、参加22人中19位という、さんざんなものであった。

 さんざんなと言うのは、それなりに練習を重ねてきたにも拘わらずの成績だからである。昨年の大会で150を叩き、一念発起してマレットゴルフのスティックを購入し、夏から秋にかけて頻繁にコースを回った。ちなみに一昨年は借り物のスティック、昨年はゲートボールのスティックで参加した。今回が自前のスティックのデビュー戦となった形。

 練習を重ねて、そこそこ上達したつもりでいたが、本番では調子が出なかった。メンタルが問われる競技なので、こういうのはありがちな事だそうである。試合に参加し、緊張感の中で場数を踏まないと、真の実力は身に付かないという話も聞いた。

 参加者の中には、二年連続で参加したが、その間に一度も練習をしなかったという人がいた。その人の方が、私より若干スコアが良かった。この事実にも、がっかりだった。しかし、私の場合でも、初参加した一昨年、スコアは138だった。生まれて初めてやったのに、である。初心者や、日頃練習をしていない人は、欲が無く、控えめなプレーをするので、かえって良いスコアが出る。それに対して、中途半端に自信を付けた者は、無理なプレーをして自滅する。今回の私も、まさにその典型だと思われた。

 大会の後の懇親会で、ベテラン連中から「大竹さん、ちゃんと二の日の試合に出なきゃ上手くならないよ」と言われた。二の日の試合というのは、毎月2日、12日、22日に行なわれる、老人会メンバーの練習試合のことである。昨年の秋に誘われて、一回だけ参加した。その後シーズンオフになり、今年になってからは一度も参加していなかった。

 何事も、お声が掛かるうちが華である。6月2日に、半年振りでその試合に出掛けた。参加者は15名で、いつもより多いとの事だった。くじ引きで3人ずつに分かれてコースを回った。スコアは128で、まずまずの結果だった。昨年の秋は、たしか124だったと記憶している。この辺りが、現在の私の実力なのであろう。

 一緒に回ったのは、いずれも80歳前後の男性。自分との年齢差に、いささかの緊張感を覚えつつスタートしたが、お二人ともきさくで親切で、楽しかった。「ナイスプレー!」とか「おっ、良いとこに行ったねぇ」とか声を掛け合いう。また、珍プレーが出ると、お互い顔を見合わせて、ゲラゲラ笑う。上手下手に関係無く、威張ったりけなしたりもせず、心底からマレットゴルフを楽しんでいる感じで、二時間ほどを愉快に過ごした。

 ところでこの日の優勝者は、80歳の男性で、スコアは98だった。二位はやはり80歳近いと思われるが、女性で、107だった。試合会場となる、地元の立足マレットゴルフ場は、難しいコース設定ということで定評がある。外部のマレットゴルフ愛好家の中には、このコースは良いスコアが出ないので、敬遠する人もいるという。そこでこのような成績を出すとは、大したもの、まさに脱帽である。

 子どもから高齢者まで、年齢に関係なく、性別の差も無く、真剣勝負でも和気藹々でも、自由自在に楽しめるのが、マレットゴルフなのである。 





ーーー6/14−−− 掲載許可依頼状


 つい先日のことである。ある会社から封書が届いた。開けたら、掲載許可依頼状と書かれた書状が入っていた。これはいったい何だろう?、と思いつつ読み進めると、いまだかつて考えたことも無いような内容であった。

 その会社は、各種資格試験の試験対策書籍を出版しているとのことだった。裁判所一般職採用試験の過去三年分の問題集を刊行するにあたり、私が書いた本の文章が出題のなかに有ったので、それを掲載する許可を得たいとの依頼であった。

 拙書「木工ひとつばなし」のことである。出題のコピーが同封されていた。ある章の1200字ほどの文章が7つに分割され、順番を変えて提示してある。それを、正しい順番に並び替えろという問題であった。文章理解の能力を判断する分野の出題とのことだった。

 腑に落ちない点があったので、その会社の担当者に電話を入れた。「私の文章が使われたことは、これまで聞いていないが、どういうことか?」とたずねると、「著作権法の規定で、合否に関わる試験に出題する目的の場合は、著者の許可を得ず、つまり無断で使用して良いことになっている。それは、出題内容が事前に漏れることを防ぐためである」との返答だった。

 それは理解できる。しかし、試験が終わった後に、「実は使わせて貰いました」と、ひと言挨拶が有っても良さそうなものだが、と突っ込むと、マナーとしてはそのような配慮はあるべきかと思うが、自分は試験問題を作った当事者では無いから、何とも言えないとの返事だった。

 この出版は営利目的なので、使用料が支払われるとのこと。僅かな額だが、これも著作権に関わる日本文芸家協会の基準に基づいて算出された金額だと書いてあった。

 別に断る理由も無いから、承諾した。木工とは関係ない分野だが、多少でも社会の役に立つとなれば、願うところである。

 ところで、以前知り合いの文筆家から、同じような話を聞いた事があった。自分が書いた文章が、大学の入試などに使われることがあると言う。それはやはり、事後連絡とのことだった。理由は上に述べた通り。出題は、作者の意図の要約として適切なものを選べというような選択問題らしいが、当人が「正解とされるものが、わしの意図と違ったりするんよ」とつぶやいたのには、笑ってしまった。





ーーー6/21−−− 一発下ろし


毎年この時期に、ストーブで焚く薪の丸太を入荷する。薪は、割って束ねられた製品も世の中には有るが、値段が高い。だから、薪ストーブを使っている家庭は、自分で薪を作るケースが多い。丸太をチェーンソーで切ってストーブに入る長さにし、斧などを使って小さく割り、雨が掛からない所に積んで乾燥させるのである。割る目的は、太い丸太を扱いやすいサイズにする事もあるが、乾燥しやすいようにするという意味もある。木は、丸いままでは乾燥し難い。だから、飲料缶程度の直径の材でも、割ったほうが良い。

 丸太の入手方法は、各人各様だろうが、我が家は明科の林業者から、2トントラック一杯を購入する。それで薪を作り、工房から出る端材を加え、その他に不要木の処分などで入手した材を足して、ちょうど1シーズン分の燃料となる。

 その業者が運んできた丸太を、我が家の敷地内に下ろす方法が、なかなかの見ものである。運転をしてきた作業員が、まず下ろす場所を確認する。それからトラックの荷台後部のあおりを下げる。丸太は、トラックの横側に断面が見えるように積んであるが、1本のワイヤーが回してあるから、崩れることは無い。作業員は運転席に戻り、トラックを後退させる。そして急ブレーキかけると、惰性で丸太の山は荷台からドドンと地面に落ちる。その行為で全ての丸太が地面に移ることもあるが、たいていは地面と荷台にまたがった形になる。そこでトラックを前進させると、地面に着いた部分が抵抗となって、荷台に残った部分も引きずられて落ちる。

 一瞬の間に、丸太の山が荷台から地面に移動するのである。見事な手際である。直径が30センチもある丸太が数十本である。一本ずつ下ろしたら、たいへんな手間と時間が掛かるだろう。受け入れ先の状況によっては、この方法が採れないケースも有るだろうが、我が家の場合はとても具合が良い。

 これと同じ方法で、さらに規模の大きな作業を、南会津の材木屋の土場で見たことがある。巨大なトラックに満載された、直径60センチ前後の丸太の山を、地面に下ろしたのである。トラックの荷台に、丸太が滑りやすいように細工がしてあり、ワイヤーは掛けずに、一発で全ての丸太を地面に落とした。まことに豪快なシーンであった。現場では、その作業を「一発下ろし」と呼んでいた。そして、一発下ろしにまつわるエピソードを聞いた。拙書「木工ひとつばなし」にそれが載っているので、以下に転載してみよう。

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 社長のOさんの話では、以前こんなことがあったと言います。一発下ろしをやったら、何かの具合が悪くて、丸太が全部落ちずに、一部が荷台の後ろの方に残ってしまいました。それだけでも何トンもの重量で、大型トラックの前の方が持ち上がりました。そしたら、トラックのフレームが耐えられなくなり、ヒビが入ってしまったのです。社長はさっそく自動車屋に、「トラックにヒビが入った」とクレームをしました。そうしたら、事情を聞かされた自動車屋は、こう言ったそうです「トラックをそんなふうに使っては困ります」







ーーー6/28−−− まぎらわしいデザイン


 風呂場でシャンプーを使うとき、リンスの容器と区別が付かなくて困る。同じメーカーで、セットとして売っているものなので、容器の形状が同じであり、印刷されているデザインも相似形。その中に、コントラストの低い色合いで、小さくシャンプーと書いてある。手に取って間近に見なければ判別できないほど不明瞭な表記。まるで間違い探しのようである。何故このようにまぎらわしいデザインになっているのだろうか。現在使っている商品だけではない。最近使ったものは、おしなべてこのような傾向にあった。

 ついでに言うと、チューブ入りの歯磨きも、同じ傾向である。はっきりと「歯磨きペースト」と書けば良いのに、そうなっていない。小さい字で「歯グキに・・・」とか「口臭に・・・」とか書いてあるから、それと分かるくらいである。そのため、洗面台に並ぶ他のチューブ、例えば洗顔クリームと間違えてしまう。実際に、洗顔クリームで、口の中が泡だらけになった事があった。それを白状したら、娘が「あら、私もやったことがあるわ」。

 話をシャンプーに戻そう。容器の区別が付かなくてイラつくと不満をたれたら、「キャップにポツポツが付いている方がシャンプーよ」と家内が言った。盲人でも不自由が無いように、そのような細工がしてあるとのこと。調べてみたら、確かにシャンプーの容器のキャップには、上面にゴマ粒のような突起が付いていた。家内はそれで判断して使い分けているらしい。なるほど、そういう手があったか。

 それにしても、ことさらストレートで素直な表示を避けるというデザイン手法は、何なのか。見映えばかり追い求めても、使いにくかったら意味が無いと思うが。まことに不可解な、時代を覆う闇のようなものを感じると言ったらオーバーだろうか。




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